やるという志があるのかどうか。
セカンドオピニオンでコンサルティングは出来ますかね、なかなか出来ないのではないですか。出来ないと思うのであればやらなかったらいい。金融のサポートが出来ますかね、出来ないと思ったらやらなかったらいい。
プライベートバンキング業務が出来ますかね、出来ないと思うのであればやらなかったらいい。IFA事業は出来ますかね、出来ないと思うのであればやらなかったらいい。
出来ない議論、会話、思考をしても何も生まれない。出来るかどうかは自分にも分からない。自分に判断できるのはやるかどうか。自分にやる意気込み、気概、志があるのかどうか。
自分にやる気概、志がなければ、出来るものの出来ない。出来るはずがない。気概、志のところで決まると思います。
私も会社を興した時、なかなか営業が出来ず、くよくよしている時があった。何も仕事が手に付かない時がありました。その時専務に言葉で叩かれた時があります。
出来るかどうかではない、やるんだよ。出来るかどうかではない、やる気があるかどうかだよ。出来るかどうかなんて聞いていない。出来るまでやるんだよ。やる気がないのであれば、シャルマンという会社をきれいにたたんで、今すぐ就職活動をしてください。もう一度サラリーマンとして働いてください、と言葉で叩かれた経験があります。
この言葉を言われたことが悔しくて悔しくて、しかしそれをきっかけに私の働き方、過ごし方が変わったことも記憶をしています。
もちろん、今までと全く違う分野の事に取り組んでいるのではない。今までと同じような事の延長で事業をしているのであります。
やったことがある経験があるかないかという事はあります。ただそれを元に我々が出来るかどうかを検討するはありでしょう。しかし出来るんだろうか、出来ないのではないかという事は私の中では議論にならない。迷う判断をするのであれば議論にはならない。出来ないでしょう。
出来るかどうか、やるかどうか、やる気があるかどうか、気概があるかどうか、自分に志があるのかどうか。出来る出来ないの話はしたくはない。急に時間がもったいなく思えてきました。私は残っていたコーヒーを一気に飲み干し、時計をチラッと見て、ちょっと次がありますのでと席を立ってその場を去りました。
出来る出来ないの議論を重ねる文化が弊社にないのかもしれない。やさしくよしよしと出来る出来ないの話に付き合ってくれるパートナーはいないのかもしれない。少なくとも以前、専務にきつく言葉で叩かれた事があります。
さあ、やるかどうか、やる気があるかどうか、やる気持ちがあるかどうか、どうやるかどうか、いつやるかどうか、精神論で言っているのではないようです。
やるという志があるのかどうか。一生懸命、真剣にやりなさいと言われています。
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