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シャルマンの前身、涌嶋が大阪へと向かっていきます。

新大阪、梅田、また電車の中には多くの新入社員らしき方々がいらっしゃいました。本日から入社なのでしょう。私の場合は証券会社に入社をし、4月1日より1か月間、千葉県八千代市の研修所にてみっちり研修を受けました。

本当に研修漬けで、四六時中、研修、勉強をした記憶があります。新入社員同士で多少はありましたが、談笑をして過ごす研修ではなかったような記憶があります。

八千代にて1か月間過ごし、そしてGW明けに配属を任命されるのであります。当時はあいうえおの名前順に人事部の方が一人ずつ配属先を、誰々〇〇支店、誰々〇〇支店という形での発表であります。

涌嶋でありますから、しばらくは呑気に仲間の配属先を聞いていられます。橋本、松井、矢野と徐々に配属先が発表されるにつれて緊張が高まってきます。

ちなみに、事前に希望配属先の記入がありましたので、私は第一希望東京都内、第二希望横浜との希望配属先を提出致しました。

大学生の期間中は親のすねをかじりかじり、これでもかというほどかじり、全く自慢にはなりませんが親のすねをかじらせて頂いた自負があるほどです。ですので社会人になったらとことん働く嫌でもとことん働くと決意をしておりました。ですからせめて大学生のうちは遊んでおこうと思った次第です。

とことん働くと決めておりましたので結局は配属先など私にしてみればどこでも良かったのでしょうが、いざ希望の配属先を書けと言われるとついつい都会的な東京、横浜を記入してしまいました。

土曜日、日曜日など休みの日ディズニーランドや渋谷、表参道、青山などオシャレに休日を過ごし、聞こえの良いサラリーマン人生を過ごすことが出来ると薄く考えておりました。

結果、配属先は、大阪なんばに任命されました。全く予想もしていなかった配属先でもう頭の中が半分もしくは3分の1くらい真っ白になりました。配属先を告げられあまりにも私が呆然としていたのでしょうか、同じなんば支店の配属になった吉田と言う男性がまあいいじゃないかいいじゃないかと慰めに来てくれた様な記憶があります。

何となくでも記憶があるという事は、私の頭の中は言うほど真っ白にもなってなかったのかもしれません。これが私の社会人としても人生の始まりでありましょう。配属が決まり新幹線で大阪へ向かって移動するのですが、もうこれで東京の地を踏むことは当分の間はないのかと思うと涙が出てきました。

新幹線の中でしばらく泣いておりました。泣いていたというか、涙が勝手に出てくる感覚でありましょう。浜松くらいまで涙が出ていたのではないでしょうか。またして吉田という男性が私を慰めてくるのです。さすがに少しうっとうしくもありましたが、吉田が慰めてくるのです。

シャルマンの前身、涌嶋が大阪へと向かっていきます。

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